2016年07月21日

「天空の山城 備中松山城献茶式(遠州流)」その2

高梁の霧.jpg

献茶式が終わり本丸を降りると遠くの山々に霧が立ち込めています。
帰り道には随分下の方に城下町が見えて、臥牛山の高さを改めて感じました。
少雨の中、「ふいご峠」という、良い響きの峠でバスに乗りました。
バスは、高梁総合福祉センターに到着、こちらが点心席となっています。

城下町に相応しいような駕籠形の点心です。
大変なご馳走でした。お酒やビールなども用意されていて、
大変贅沢なおもてなしでした。

点心を美味しく頂き、これから頼久寺茶席までは城下町高梁の見学です。
作事奉行小堀政一(遠州)が町割りに深く関与した城下を歩くのは、
天空の茶会のもうひとつの楽しみでした。

旧高梁尋常小学校・郷土資料館

資料館.jpg

明治時代に建てられた洋館は、旧高梁尋常小学校だった建物です。
日本にとって明治時代は、大変素晴らしい人材を産んだ時代だったと
思います。この建物からも多くの人材が巣立っていった事でしょう。
中に入ると、郷土資料館となっています。

備中鍬という発明品

備中松山という地での生活用具などがたくさん展示してあります。
その中に備中鍬というものがあります。鍬は田畑を耕す鉄製の道具ですが、
備中鍬は先端が三叉、四叉になっています。現代では当たり前に感じますが、
このような優れた効率の鍬は、備中が産んだ発明品だそうです。

備中鍬.jpg

備中鍬の発明は、何と!茶人・小堀遠州であったというから驚きです。
そしてこの備中鍬は、瞬く間に全国へと注文が相次ぎ高梁の町は潤ったそうです。
小堀遠州という人の才能、豊かなアイデアは、茶の湯文化の中だけでは無かった
ようですね。こうしたアイデアも人を思いやる心から出たものでしょう。

紺屋川筋

紺屋川筋.jpg

次は紺屋川(こうやがわ)筋という町を歩きます。良い名です。
こちらも遠州が町割りをしたと伝わるもので、紺屋川を挟んで通りが出来ています。
美観地区として「日本の道百選」に選ばれています。遠州の「綺麗」という美的
感覚は町造りにも込められていたのでしょうか。
この川には短い橋が架かっています。橋の名は「老松」「相生」「住之江」。
お能や茶の湯の銘で耳にするような、文化的で美しい名の橋だと思いました。

石火矢町と武家屋敷

少し歩いて、石火矢町に着きました。石火矢(いしびや)とは、鉄砲や大砲の事で、
この町は、戦の時、防御の要になる城下町の要塞です。「埴原家」と「折井家」という
ふたつの武家屋敷が保存公開されています。

石火矢町.jpg

埴原家は、120石取の近習役や番頭役を務めた武士の屋敷。これに対して、
折井家は、200石取の武士が暮らしていた屋敷です。

それぞれの屋敷を見て回ると埴原家のほうが石高は低いにもかかわらず、
座敷は全て畳が敷かれ、火燈窓のある書院が備わった大変贅沢な造りに
なっています。
一方折井家は、200石と埴原家より石高が高いわりに、板間に筵を
敷いた質素(質実剛健)な暮らしが垣間見られました。

前者のような、近習を務める武家は、生まれた時から御殿の生活様式を
身に付けていなければならないという英才教育なのだそうです。
後者の折井家のような一般的な武家は、常に戦時に備え質素倹約をした
という事です。石高の大小に関わらず自家の家風に応じた生き方を守ったんですね。

武家屋敷の奥の庭には、小さな池がありました。
この池で鯉を飼い、お客の折には「鯉の洗い」でもてなし、戦時には
大切な兵糧としての役目もあったそうです。昔の茶会記に「鯉の洗い」が
出てきますが、面白いものです。

頼久寺へ

頼久寺1.jpg

城下町見学も終わり、頼久寺に参りました。
石段を上がると正面が石垣と土塀、左に向きを変えて上がり山門は右手にあります。
何度も向きを変えながら門にたどり着くような構造は、城郭に見る枡形の構造です。
このようなお寺の構えは全国でも珍しいように思います。
備中兵乱の折の、厳しい争奪戦の名残があるのかも知れません。
本堂にお参りして、庫裏を見上げると「紅がら瓦」が葺かれています。この瓦も
遠州公の創意だったそうです。

庭園.jpg

小堀遠州は、慶長5年(1600:遠州21歳)〜元和5年(1619:遠州40歳)まで
備中の作事奉行を務めました。頼久寺の庭園は、遠州の若年の頃の作とされますが、
非常に見事な庭園です。白砂敷の中央に鶴島、後方に亀島のある蓬莱式枯山水です。
愛宕山を借景にして左手にあるサツキの大刈込で青海波を表現しています。
遠州作庭当時の姿を今に伝える大変貴重な名勝となっています。

頼久寺茶席

頼久寺2.jpg

遠州公の庭園を望みながら、薄茶席が始まりました。
何という贅沢なお席でしょうか、遠州公もこの庭園を見ながら、御茶をされた
ことでしょう。遠州流のひとつひとつの動作を大切にするようなお点前見ながら、
今朝からの登城、お献茶、紺屋川町割と石火矢の町並みの事を少し思い出したりしました。

とても味わい深く、勉強になった一日でした。
お茶席が終わって、今一度、お道具の数々を拝見させて頂きました。
お寺に伝わる、遠州自筆のお触書の木札も、非常に興味深いものでした。
戦乱が続き荒廃しつつあった備中という町を、ここまで美しく磨き上げ、
文化を大切にした遠州公の功績に感服し、「天空の山城」の茶会活動の
意味深さを感じました。
この素晴らしい茶会が今後も続き、備中松山から多くの文化人が生まれると
良いと思います。

丁寧にガイドして下さった高梁市の方々、遠州流の方々、頼久寺住職様に
心から感謝申し上げます。


posted by etchuya at 18:32| Comment(0) | 日記

2016年07月11日

「天空の山城 備中松山城献茶式(遠州流)」に参加しました。

平成28年5月29日(日)、現存する山城としては、日本一標高の高い
所にある「備中松山城」にて、遠州流13世お家元小堀宗実宗匠による
献茶式が開催されました。
備中松山城は、天空の山城と呼ばれ現在まで大切に伝えられてきました。
また、備中松山の地は、慶長9年、若き日の小堀遠州が治めた土地としても
有名で、名刹・頼久寺(生島裕道住職)には、遠州作の枯山水庭園が、当時の
様子のまま残されています。

尾道から高速道路で向かいましたが、道中は雨が降ったり止んだりと、
少し不安定な天候でした。駐車場に付くと受付を済ませて、専用バスに乗り換えました。
小型バスが運行可能な、最高地点まで参加者を送迎してくれました。
バスを降りてからガイドさんのお話を伺いながら山城へと続く道を歩きました。
途中には、小堀家の七宝模様の旗と、巴九曜紋の旗が道案内となっています。

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高い石垣が見え始めたところで、ガイドさんが足を止めて説明をしてくれました。
山の名は、牛が臥せたような姿から「臥牛山(がぎゅうざん)」、標高480メートル、
山の殆どが花崗岩で出来た岩山です。

大手門の石垣は、天然の花崗岩の上に、切り出した石を積んだもので
天を衝くように切り立った威容を誇っています。この上無く堅牢で、
攻め入る事を躊躇ってしまうような威圧感があります。

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正面にある石垣、花崗岩に積まれた石垣と土塀は、大河ドラマ「真田丸」の
オープニングでも映像として使われています。日本に唯一と言っていい、
それは見事な高石垣です。

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大手門を過ぎると、江戸初期の土塀が残されています。
風雨に晒される土塀が現存するのは大変珍しい事です。
鉄砲狭間が見られますが、その先は谷になっていて敵は攻めてきそうに
ありません。戦国期山城の様式美というか、常に実戦を想定した城主の
戦略が感じられます。

鉄砲伝来以降は、山城はその防御効果が減少し、次第に平地へと
築城に対する立地条件や思想そのものが変化していきましたが、
備中松山城は、戦国最後の「古風」を今に伝えてくれています。

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美しい二層の天守閣を眺めながら、薄茶の呈茶がありました。
小雨の中を、担当の皆様が熱くて美味しいお茶を運んで下さいました。
備中松山名物の「柚餅子」も振る舞われました。
本丸の櫓を過ぎると、

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天守閣前では献茶式の準備が整い、今朝からの雨に対する用意が進んでいます。
日本一標高の高い山城での献茶式は、日本一準備が大変だったに違いありません。
それでも遠州流や地元の有志の人々の力によって実現されたと思うと、参加させて
頂けただけでも大変有り難いことと思います。

献茶式まで少し時間がありましたので、天守を見学しました。
天守閣は、慶長年間、小堀正次・政一(遠州)親子が城番で入城した時には
既にあったとも言われ、その後、天和年間(1681頃)水谷勝宗によって修築
されています。

二層二階、正面の唐破風が美しい複合式望楼型天守です。
戦国期の山城らしい質実剛健さに加え、白漆喰と格子窓の組み合わせは
どこか優美で、備中という国の文化度の高さを感じたりしました。

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一階部分には、城内には珍しい囲炉裏が備えてあります。戦時、城主の
暖房用に用いられたとされるもので、備中兵乱の折、激しい争奪戦が
繰り返された経験から生まれたものと言われています。

さらに一階上段には、装束の間という十畳程の部屋があります。籠城時の
城主の居室であり、武運が尽き落城を迎える時には、切腹をする為の部屋と
言われています。

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最上階には、天守には珍しい神を祀った「御社壇(ごしゃだん)」があります。
かつては、この祭壇に三本の宝剣がご神体として祀られていたと言われています。
松山城の天守閣は、戦における最後の砦であると同時に、信仰の対象として
藩主や領民から大切にされたのでしょう。

献茶式

小雨が降り始める中、献茶式が始まりました。

遠州流十三世お家元小堀宗実宗匠のお点前が始まると、不思議な事に
雨はぴたりと止み、点てられた御茶を板倉家十九代当主板倉重徳様が
備中松山城歴代の城主の為に祭壇にお供えになられました。
小堀遠州と板倉重宗の400年の時を経た備中松山での再会です。

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お供えが終わると、また、シトシトと少しつづ雨が降り始めました。
御献茶を妨げないかのような、天候の変化がとても不思議に感じました。
厳粛で、素晴らしく感動的な献茶式でした。

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左二人目:小堀宗実宗匠、中央:板倉重徳様、右二人目:頼久寺生島裕道住職

この後は、城下町見学、頼久寺薄茶席と茶会は続きます・・・。


posted by etchuya at 16:59| Comment(0) | 日記