2017年01月13日

茶の湯歳時記同好会新聞 第42号

「上海の孤島、普陀洛迦山の慧鍔大師に御茶を差し上げて」檀上宗厚

丁酉の歳、私にも六回も巡って参りました。
お正月にはいつも「一年でなく、十年の計は歳旦にあり」と楽しんでいます。
尾道の向島にある亀森八幡宮の宇佐宮ご分霊に師匠より『お献茶の意義を
十分に習得して点茶をする様に!』と29歳の時、献茶式を仰せつかりました。
この教えを忘れず大切にしています。

この有難い貴重な経験のお陰でございましょうか、平成十年の春の事です。
浄土寺副住職小林暢善様が『中国観音霊場会の八周年にあたり普陀洛迦山の
慧鍔様にお参りされませんか』とお誘いがございました。

平安時代に中国に渡海した学僧慧鍔が望郷の念を抱きながら帰国叶わず
彼の地に観音霊場を開いた事を知って素直にお茶を差し上げたく思ったのです。

故人になられた金丸様と寺澤様、茶の湯の一番弟子の島田様と四名で
献茶式を行う事に致しました。早速に「中国の寺院に国際小包郵便で
お願いできますか?」と尋ねると『上海までは着きますが、普陀山ま
では無理です』と中国の諸事情に依り茶道具を個々に運ぶ事にしました。

平成十年九月三日、浄土寺研修道場前で長老様のご内室千枝様が
お見送り下さり、広島空港から八日間の旅でございます。暢善様は観音霊場会の
導師として千光寺様、仏通寺で修行中の中国学僧殷様、宮島の大照院塔頭ご住職、
広島の三滝寺様、岡山の西大寺様、備前の長法寺様など三十六名の
団長でもございます。

献茶式のお道具は檜垣風炉釜、棚は桐丸卓、桶川水差、天目台に三碗、
溜塗中棗、茶杓、春慶塗の建水、交趾蓋置、菓子器は浄土寺様の
三宝と茶、灰と炭、お香など持参いたしました。

九月五日、午前八時普陀山の西方浄苑の本堂で赤色のお袈裟に金糸が
眩い衣を纏った中国僧と質素な装束の日本僧の合同法要が終わると
慧鍔記念堂に移りお堂の厨子に黄金に輝いている慧鍔大師に
浄土寺観音の羽二重餅を三宝に山盛りにお供えして、三十人余りの
日中僧侶で再び法要が始まりました。

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慧鍔大師に供茶をされる浄土寺小林暢善住職


中国の般若心経はとても覚えきれない程の独特な心良い音色と
リズムでございました。続いて我が国の僧侶による聞き慣れた
般若心経が堂内に心良く響いて神々しく終えますと僧侶の見つめる中、
作法が始まり、袱紗を捌き、茶杓を清め、点茶した茶碗を暢善様が
鄭重に観音様にお供えされ、慧鍔大師様に、続いて全人代中国仏教会会長、
道生法師様にお茶を差し上げ滞りなく終えました。
すると不思議に堂内が観音様の慈悲に満ちた優しさと慧鍔大師の遺徳が
この上なく豊かに溢れ一座洗心の思いでございました。

お献茶道具の奉納を終えると道生法師様が
『茶が我が国より日本に伝わり作法を確立されました。本日ここに
里帰りして慧鍔大師にお茶をお供えされましたのは世界で初めての事で
ございます。謹んで御礼を申し上げます。
続いてこのご縁を大切にして参りましょう』と言葉がございました。

献茶式も終わり私の草履を捜していると、近くの寺守りの老女が
『貴方様の草履は、先ほど仏僧が手を合わせて懐に入れて持ち帰りましたよ』
「えっ、なぜですか?」と尋ねると
『大師様に功徳をされた貴方様から福を分けて頂く為でございます』と
何も無かったかの様にお陰かどうか解かりませぬが、お国が変われば
不思議な風習があるものでございます。

中国観音霊場会は平成二年に西大寺の坪井全広様、浄土寺小林海暢長老様、
明王院住職様によりご縁が結ばれたのでございます。

平安時代に渡僧が茶を伝え、我が国では遣唐使僧の最澄、栄西が中国から
茶の種を肥前に一粒、高山寺の明恵上人に一粒、宇治に一粒と一粒万倍に
なったのでございます。
応じて浙江省の径山寺で点茶作法を学んだ僧、南浦紹明や道元禅師により
仏様への供茶の作法が伝わったのでございます。ある長閑な晩秋のある日、
道生法師様より文と揮毫の色紙が届き、茶の湯はご先祖様へのお供茶に
始まりお供茶に終わると伝えてございます。

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前人代中国仏教会会長 道生法師揮毫の色紙
『深入經蔵』

時空を超えて中国で学んだ先人の法と志を小事に心を奪われる事なく
受け継ぎ真善美、豊かな茶の湯を伝えて参りますのも
茶人の楽しみでもございます。

(夏期号につづく)


posted by etchuya at 17:24| Comment(0) | 茶の湯歳時記同好会新聞