2017年12月07日

茶の湯歳時記同好会新聞 第45号(冬季号)

茶祖、村田珠光の茶の湯と心の文

珠光様は利休様より百年前に奈良に生まれ、名を茂吉と呼ばれた。父は村田杢市検校と称して東大寺、春日大社の宮大工で地位の高い営繕首座の社僧、平家琵琶の名手でもあった。茂吉が十歳の時、称名寺の了海上人に得度して僧となり、法林庵を営んだが、求むるものがあったのでございましょう、二十歳の時寺役を辞して漂泊の身を望み、茶の湯の度に赴いたのでございます。唐風を尊んだ室町文化は美術品の鑑定に長じた足利義政公の同朋衆、能阿弥が書院の四幅、三幅一対の軸の飾り法や違い棚、三具足の配置法など茶の湯の装束まで貴人は素袍、俗人は裃、法体は袈裟十徳と制定され、東山流の茶は大成に至ったのです。一方、京に身を寄せていた茂吉は西大寺の大茶盛、興福寺衆徒の功徳風呂や淋汗の茶に強く影響を受けていたのです。

淋汗の茶

当時は水風呂や薬草で蒸した風呂、湯風呂があり、湯に浸かる事は、最高の贅沢で庶民の手には届かなかったのです。興福寺別当、大僧正経覚日記(一四六九年)には、「古市播播磨守澄胤は、一年間で十二回、淋汗の茶会を開いた。湯風呂には主賓の私が入浴し、次に澄胤の一族百五十人程が順番に澄胤夫人、女中と続き、翌日には古市の郷民も許されて功徳風呂となった。御会所には軸が掛かり、花が活けられ、明国から伝う蓬莱山と竹林の七賢人や我が国の勇士の人形が飾られていた。特にカラクリによる置物の亀の口からお酒が湧きいでて皆に一献が振る舞われた。容器には宇治茶と椎茶が盛られ茶を飲み、白瓜と山桃と素麺の点心を一同に食して清涼な茶会で目を瞠るものであった」と記されています。淋汗の茶は、貴族や武将、僧侶たちの遊山の場所でもあったのでございます。

侘び茶の誕生

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こうして珠光は天運に身を任せ、心の赴くままの六年間を過ごし、京三条に庵を結び茶の湯を楽しんだ。吉縁あって立華の師を能阿弥に求め、宝物の目利き指南を受け、かわりに茶の湯を伝授して互いに良く指南を仕合った。大徳寺真珠庵の一休に参禅している珠光にその意を嘉賞して大切な宋の天寧寺、圓悟禅師の墨跡を印可状として与えられ、こうして茶禅一味の境地に至り、今に禅僧の一幅を床にかける風習が残されているのです。圓悟禅師は禅の大先達で禅門第一の書「碧巌録」を編んだ高僧であり、禅を尊んだ茶匠の武野紹鴎や津田宗及が南宗寺の大林宗套に、利休が大徳寺の笑嶺宗訢に、織部や遠州が春屋宗園に、石州が玉室宗伯にと教えを請うたのは、みな珠光の影響によるものでございましょう。
ある千秋の頃、義政公が能阿弥を召して「古より、ありきたりの茶の湯はもはや事尽きた。老いの身には雪の山を分けての鷹狩りも、もう似合わず、何ぞ珍しき事はなきや?」と仰せになり、能阿弥は「奈良に珠光という人物が茶の湯に志が深く、三十年もこの道に精通し、孔子の道を学びて、仏法も茶の湯の中にあると申す僧がおります故、茶の湯を遊ばされては…」と言上したのです。お目通りが叶い、茶の湯、儒教、仏法などを深慮に説いた珠光を足利家の茶の湯指南役に召し抱えたのでございます。珠光は書院から六畳、四畳半の台子点法を尊び、唐物から和物の茶道具を取り入れて小座敷の奈良流の侘茶を見出したのでございます。

珠光心の文

当時の茶の湯を賢察して愛弟子の武将、古市播磨守澄胤に戒めた一文を贈りました。その『心の文』には、

「此道、第一の悪き事は心の我慢、我執であり一念に凝り固まって他を返り見ない事である。例えば練達の者に近づいては妬み、初心の者に対して見下す態度をとる事などは、一段と不都合な事である。宜しく練達の者に近づいて、その道理をよく悟り、一言なりとも感嘆する機会をとらえるのです。また、初心の者には如何にしても是非に育ててやるべきである。この道の一大の眼目とするところは、和漢(中国と日本)の境地を融和させることである。これは極めて肝要な事で心を配らねば成らぬ事である。当時冷え枯るる(枯淡)と申して、初心の人が備前物、信楽物などを持ちて一人よがりに境地を見出そうとする事は言語道断也、枯るると言うは、良き道具を持ち、その味わいをよく知りて、自身の心の素地により冷え枯れた境地に至ろうとする事に努め、面白くあるべき也。到底そのような事が物心共に満足叶わぬ人は、道具を賞玩するべからず候也、いか様の手取り風情を感嘆することが肝要にて候。唯、我慢我執が悪き事にて候。又は我慢なくてもならぬ道也。銘道に曰く、心の師となるがよい、が、しかし心を師とせざれと、古人も云われし也。」と伝う。

茶の湯に志す私達は、心豊かにかくの如く有りたいものでございます。
茶祖村田珠光は、京都真珠庵と奈良称名寺に葬られ、ご位牌には「獨蘆軒南星珠光西堂」とありて、花鳥風月を友とし、和歌を好み、茶を点じては風流三昧に過ごし、南都、京師の間を往還して楽しみ、文亀二年(一五〇二)五月十五日、八十歳の齢を収められたのでございます。

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同世代を生きた一休宗純の臨終の言葉にはこうあります。

「借用申す昨月昨日、返済申す今月今日、借りていた五つのものを四つ返して、本来の空に今戻る」


posted by etchuya at 12:02| 茶の湯歳時記同好会

2017年11月28日

第1回 浄土寺夜咄茶会レビュー 11月19日(日)

浄土寺夜咄2日目は、初日にも増して寒気が強まった一日でした。
午後4時30分頃からお客様が待合にお集まりになられました。

濃茶席 速水流

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正客は浄土寺の奥様

今日の濃茶席は、速水流です。
お床には、雅楽面の「蘭陵王」が掛けられ、行灯の灯りに照らされています。
雅楽における「蘭陵王」は、北斉の蘭陵武王・高長恭の逸話にちなんだ曲目で、
眉目秀麗な名将であった蘭陵王が優しげな美貌を獰猛な仮面に隠して戦に挑んだと
いうものです。武人の勇壮さの中に、絶世の美貌で知られた蘭陵王です。
床柱には金馬の経筒が花入となっています。

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重文の書院梅の間の金地貼付壁には瀧が描かれ、襖絵は梅林になっています。
やがて瀧の水は、海に注ぐように竹の間、松の間へと続いて行きます。
蝋燭の炎が襖絵を照らして、非常に美しい光景です。
濃茶は、浄土寺先代住職の小林海暢長老様のお好みで「法輪の昔」です。

露滴庵庭園と方丈前庭園

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濃茶席から薄茶席に移動する間に、露滴庵庭園があります。
白砂はきれいに整えられて、むこうには露滴庵が大切に保存されています。
露滴庵までの大小の石灯籠も、蝋燭の灯りが入りました。夜に眺める露滴庵も
一段と素晴らしいものです。

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方丈前の白砂の美しい庭園です。
こちらには勅使門と言って、貴人のみ通る事の許された門があります。
皇室ゆかりのお寺、浄土寺の見どころのひとつです。


薄茶席 表千家流

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正客は浄土寺小林暢善住職

2日目の薄茶席は表千家流です。
床には大綱和尚の消息文が掛けられています。
毛利家から泉州のお殿様に対して茶入と水指を献上した際の書状です。
仲介を務めたのは、毛利家菩提の大徳寺黄梅院の大綱和尚様で、
「泉州様は大変にお喜びになられました」と安堵の様子が綴られています。
前には達磨さんのような盆石、龍の髭が、さながら達磨大師を彷彿とさせます。

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お点前座には、仏器としても知られる南蛮半寧羅水指です。
大陸では軒先にこの器に水を張って、道行く僧侶や人々に奉仕するのだそうです。
亭主はお席の中で、お釈迦様の時代から現在も続く、無償で水を捧げる「水の功徳」の
お話をされ、とても仏心豊かなお席になりました。

夜咄懐石とコンサート パート2

庫裏では昨夜に続いてコンサートが開かれました。
2日目のお客様にも大好評の料理と音楽のお席になりました。
(献立は前ページを参照下さい)

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会場の雰囲気、お客様の視線も非常に暖かくて、演奏者としても
とても嬉しい演奏会になったようです。

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チェロ:木村直子氏 ピアノ:吉岡由美子氏

セットリストは昨夜と少し変更がありました。
とても良いコンサートでした。

【2日目のセットリスト】
G線上のアリア(バッハ)
月の光(ドビュッシー)※ピアノソロ
無伴奏チェロ組曲第5番プレリュードより抜粋(バッハ)※チェロソロ
夢のあとに(フォーレ)

ご来場頂きましたお客様方、浄土寺夜咄にご協力下さいました小林暢善住職様、奥様、
浄土寺の皆様、また、快くお席を引き受けて下さいました席主様方、音楽家のお二方、
茶の湯歳時記同好会の皆様に心より感謝申し上げます。



posted by etchuya at 15:21| 茶の湯歳時記同好会

2017年11月21日

第1回 浄土寺夜咄茶会レビュー 11月18日(土)

尾道の瑠璃山の木々も真赤に紅葉した平成29年11月18日(土)・19日(日)の
二日間、国宝の寺浄土寺(小林賜善住職)ご協力のもと、茶の湯歳時記同好会主催
第1回夜咄茶会が開催されました。本格的な夜咄茶会は尾道近郊でも初めての
試みです。中国5県の他、関東から、定員を少し超える66名のお客様が
参加下さいました。18日は、例年になく、今秋一番の冷え込みとなりました。

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薄暮の表玄関には露地行灯でお迎え致しました。
受付を終えると、グループごとに各お席の待合に入られました。


濃茶席 表千家流

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濃茶席、表千家流の待合です。お席となる重文書院梅の間に隣接する竹の間です。
部屋は夕暮れとは言え、もう随分暗くなっていて、夜咄の雰囲気が漂っています。
手焙は毛氈ごとに置かれていて亭主の心が感じられました。行灯の側には、
今日の会記と箱書付が並べられています。

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短檠や膳燭など、昔ながらの灯りの下、お席が始まります。
床には払子の画賛、桂盆に盆石が行灯の灯りに照らされています。
釜は大変大きな広口の古い御釜で、蓋をあけると湯気が一気に立ち上ります。
寒い時期の、特に夜咄ではとても暖かく感じられる風景です。
お客様はお茶碗や茶入など、名品の取り合せをゆっくりと楽しまれました。


露滴庵庭園と方丈廊下

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方丈へと続く廊下は露地行灯を準備しました。
露滴庵庭園もライトアップされ、灯籠には灯りが入っています。
夜の浄土寺も、とても美しいものです。


薄茶席 遠州流

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遠州流待合は方丈の上段の間です。
幕末から明治にかけて活躍した福山城絵師藤井松林による襖絵が有名です。
金地の襖は僅かな行灯の灯りを映して、夜でも明るく感じられるようになっています。
電気の無い時代、装飾性と機能性を備えた昔の人の創意工夫は素晴らしいものです。
四ツ足の大きな手焙は、浄土寺蔵。黒塗に唐草蒔絵と飾り金具が見事で、
箱書には文政二年とあります。露滴庵が浄土寺に移築された頃、光國和尚の代に
新調されたとあります。

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遠州流薄茶席では、短檠の他、背の高い菊灯台がお席を照らしています。
緋毛氈の敷かれたお席に、揺れる蝋燭の灯りが非常に幽玄でした。
床には宗明宗匠の雪の一行書、唐物の古銅花入、遠州好袋棚は総飾となっています。
遠州流の「綺麗さび」の精神が非常に色濃く出た設えと、茶を愛する席主のお人柄に、
お客様も随分魅了されたようです。


夜咄懐石とコンサート

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料理の席となった浄土寺庫裏は、10数基の竈が並び、かつて多くの修行僧が
食事の準備をしていた場所です。竈の煙を逃がす為に吹き抜けで梁が露出して
います。平成の大修理で、元禄時代当時に復元された、浄土寺の名所の
ひとつとなっています。

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今回は大徳寺振舞料理を研究して夜咄懐石としました。

【八寸五種盛】大徳寺麩、締豆腐、百合根、香茸、菊葉
【白和え】人参、木耳、蒟蒻、さつま芋、菊葉
【胡麻豆腐】わさび
【飯物】あずき御飯
【汁物】白味噌仕立 よもぎ麩 粟麩、揚麩 和芥子
【煮物】宗旦そば
【箸洗】針生姜

監修 檀上宗厚
調製 大丸日本料理場 宇根本茂


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懐石の後、チェロ奏者:木村直子氏、ピアノ奏者:吉岡由美子氏によるコンサートを
楽しんで頂きました。備後で活動を続けるお二人は、夜咄に相応しい曲を選曲、
編曲して下さいました。吹き抜けの庫裏は、非常に音響が優れているそうです。
お客様は各曲の作曲者や曲の説明を聞いて、その音楽の風景を楽しまれました。
晩秋の夜に相応しい、素晴らしい雰囲気のミニコンサートでした。

【初日のセットリスト】
トロイメライ(シューマン)
月の光(ドビュッシー)※ピアノソロ
無伴奏チェロ組曲第5番プレリュードより抜粋(バッハ)※チェロソロ
夢のあとに(フォーレ)



夜咄2日目、11月19日(日)に続く…。


posted by etchuya at 13:28| 茶の湯歳時記同好会