2015年10月15日

茶の湯歳時記同好会新聞33号 「堀内宗心宗匠のご遺徳 その3」 

備後地方の経済レポート誌10月10日号に連載中の
茶の湯歳時記同好会新聞の記事を掲載します。

「堀内宗心宗匠のご遺徳 その3」 檀上宗厚

浄土寺ご本尊十一面観世菩薩の献茶式も終え、寸暇をみつけてはその国の芸術や
歴史など研究旅行を楽しんでいます。以前より桃山時代に渡海したキリシタン侍、
支倉常長の事を知りたくてイタリアを訪ね、その時にピノキオはイタリア生まれと知り、
私どもは息子ばかり育てたものですからお人形には無縁でございました。
宗心宗匠のお宅にはフランス人形が飾ってございましたので、ピノキオ人形を
お土産にお贈りいたしました。暫くして献茶式とお人形の丁寧な礼状を頂きその
消息文を軸装にして大切にしています。

宗心宗匠から届いた消息文.jpg
宗心宗匠より届いた消息文


さて、奈良の称名寺の僧、茶祖村田珠光の流れを汲む、わび茶はやがて堺に
移りますが、堺には大徳寺塔頭南宗寺があり、武野紹鴎や千利休は大林和尚、
笑嶺和尚について参学しておられます。
禅はその当時、青年層の必修の教養としていたからでございましょう。
この風潮は桃山時代から江戸時代に入っても継承され、
歴代の宗匠方も大徳寺の門徒として茶の湯を伝承してこられています。

特に禅を修行された顕著な事例は、如心斎(表千家七世)で晩年一時、
千家の門を閉して、茶頭の紀州家にもお暇をいただかれ、如心斎は大徳寺の
常楽庵に籠り大竜和尚について参学し、川上宗雪を侍者として日々参禅弁道に
励まれ、その頃の様子を

『若竹や 北山かげの 昨日今日』と一句を託しておられます。
そうして『*八角の磨盤空裡に走る』の公案を透過して参得されたと
伝えられています。

私は禅の本来の目的は修行も大切ですが得道、見性するところにあると考えています。
些細な事にご執心なく崇高な志を持って自身の茶の湯が出来ればと思っています。
永平道元禅師の言葉に『万法来って自己を證するは悟りなり』と残され、
この語の境界を得て、茶の湯の道に遊ぶことが出来れば理想でございます。



ある茶会の時の様子でございますが、宗心宗匠のお点前で濃茶をいただきました。
正客に尾張徳川家、当主徳川義宣様、次客に私が同席させて頂きました時の事
ですが、お菓子が出され樂茶碗に茶巾と茶筅、建水、蓋置、柄杓が持ち出され
お点前が始まりました。ところが道具畳に置かれた茶碗に茶杓が無いのです。

如何に茶杓をお持ち出されるのか?と、
宗匠の事を案じましたがご無用でございました。
既に宗匠はお気付きの様子で、柄杓を引かれご挨拶がすみますと、
何事もなかった様に茶碗を膝前にそして茶入のお仕覆をとき茶入を清め置かれ、
次に茶杓を袱紗で清める時でございます。
すると宗匠は手を止められて徳川様をご覧になって微笑まれてございます。

『茶杓を、忘れました』 

と…徳川様はその様子を察しられ

『そのままでは難しく思いますから、大切な御茶杓をお持ち下さい』

何とお優しい事でございましょう。奥深い問答を聞き感銘を受けました。
こうした宗匠の直心是道場の精神と、徳川様の謝恩の念に、茶の湯は
斯くあるべきと思いました。
正に『*公案』にある『得道、*見性、茶の湯と遊ぶ』の悟りでございます。

宗心宗匠がこの説語に、
『茶は菩薩道なり。悟後の所作なり。未だ見性せざる時は逐一ゆるかせにすべからず。
了悟すれば楽しみ正に倍するに止まらざるべし。明々に如来、見、惺々に菩薩をしる』
茶の湯の一挙手一投足が菩薩の中に有るべきと説かれてございます。

*八角磨盤空裡走…八角の石臼が空中に走る事で、悟りの上の自由な働き
*公案…禅宗で 参禅者に与える問題
*見性…自己の本性を見極め、悟りを得る事

(11月号10号につづく)


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2015年09月14日

茶の湯歳時記同好会新聞32号 「堀内宗心宗匠のご遺徳 その2」

備後地方の経済レポート誌9月10日号に連載中の
茶の湯歳時記同好会新聞の記事を掲載します。

「堀内宗心宗匠のご遺徳 その2」 檀上宗厚

平成13年4月13日浄土寺のご開帳の後礼に長老様と堀内宗心宗匠をお訪ねしました。
芭蕉の門下、向井去来が住んだ庵「落柿舎」や「常寂光寺」には
古今和歌集編集者の藤原定家山荘があり、その静寂な嵯峨野小倉山の麓に
宗匠の庵がございました。

『こんにちは、ご免下さいませ!』すると『お待ち申し上げていました!』と
お迎えになり濡縁で草履を脱がれる長老様を見守られてございます。

私が長老様の履物と靴を揃えますと長老様の草履を一尺程離されました。
下足の作法を優しく教えて頂きました。

『秀嶺軒』は即中斎宗匠が染筆され、五代不識斎が残された父君の庵の銘でございます。

通された応接間には可愛らしいフランス人形が箪笥の上に飾られてございました。
お菓子を進められ黒茶碗は長老様に、赤茶碗は私にと、宗匠の手前で薄茶を頂きました。

『あぁ!美味しくございます』すると『茶碗を替えてもう一服差し上げます』
宗匠が『黒茶碗は父、不仙斎の手造りです』と口造り、形状など
父君の事を懐かしそうに感慨深くお話になりました。

『赤茶碗は宗心宗匠のご自作ですね?』とお尋ねしますと恥ずかしそうに
『これは出来が悪うございます』とお笑いになり一座が和やかになりました。

長老様が献茶式の御礼を申されると泉涌寺での思い出がございますのでしょう。
楽しく時が過ぎて行くのです。

『檀上さん!そろそろお暇しましょう』
すると『折を見て長老様を茶事にお招きしたく思いますので、
その時は檀上さんもご一緒に!長老様どうぞ御身大切に・・』
と御見送りされました事が昨日の様でございます。

その後、消息文と『風来弄好音』の竹が賛された色紙が届きました。
それは嵯峨野、秀嶺軒で清風好音を楽しんだ情景そのものでございました。

宗匠は大正9年不仙斎の次男としてお生まれになり、京都大学理学部の助手として
台風の進路を人為的に変更するご研究をされてございました。
宗匠の事ですから続けておられると結実された事と思います。

兄、幽峯斎の急逝により長生庵を継承する事となり即中斎宗匠の元で修行され、
禅学を建仁寺竹田益州老大師より修められ兼中斎の号を拝受されました。
昭和25年長生庵12代宗完を襲名され、庵号に因み『長生会』を
結成されたのです。

そのお人柄に惹かれた門人は全国に数千人に及んでございます。
平成11年お家元より久田宗匠と共に的伝を受けられました。
その日々の稽古の教えは門人に伝わり、お弟子さんは長生庵のご門で一礼して
『お稽古お願い致します』帰りには『ありがとうございました』と
感謝の声が響いて参ります。

宗心宗匠は日頃から『茶は菩薩道なり』と説かれてございます。

ある時、飛行機の中で『乗務員の皆様が美しく見えるのは、
『躾の美しさ』という事でありましょう。容姿端麗を優先して採用された人々は、
当然の事でありますが、客との対応や身のこなしなどは、一種別の美しさが
あると思いました。みんな一定の期間に訓練を受けられ、躾られる事に依って、
いつの間にか自然に美しさが身についたのでしょう。
『躾』は納得のいく日々の生活のなかで身につくもので、力で人を型にはめるのではなく、
茶の湯を通して良識に裏付けられた『躾』を実行する事は一つの誇りでございます』
と御本にお書きになってございます。(10月10日号につづく)

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宗心宗匠から届いた色紙



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2015年08月17日

茶の湯歳時記同好会新聞31号 「堀内宗心宗匠のご遺徳 その1」

今回のブログは、備後地方の経済レポート誌に連載中の
茶の湯歳時記同好会新聞の記事を掲載します。会員の方には
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楽しんで頂ければ幸いです。


「堀内宗心宗匠のご遺徳 その1」 檀上宗厚

5月27日に、長生庵十二代堀内宗心宗匠が97歳で逝去されました。
宗匠と浄土寺長老様とは永くご親交を結ばれておられました。私にも
賀状やお手紙を頂き父母にまで「お元気ですか?」と言葉を下さり、
格別な親しみを感じていました。お人柄、茶道の師として大変尊敬
申し上げてございましたから訃報に接し心が悼みました。私が宗匠と
初めてお会いしましたのは二十歳半ば、福岡の茶会で神殿を下られる姿を
拝見して無遠慮にも「宗匠、宗匠こちらにお越しください」すると、
お辞儀をされて私の方に進んで見えます。神社の道は直線的で周りは
玉砂利が敷かれ、お姿を拝見していますと道を突き当っては右に曲がり
左に折れたりこちらに向かっておられます。「玉砂利を横切ってお通りに
なればすぐにお着きになりますのに…」と思っていました。
「お待たせしました。」と慧眼豊かな宗匠が意を察して「私は玉砂利の
道は歩かない事にしています。」と優しく、道で無い事を教えて下さいました。
その時のご一緒の写真を拝見すると今更乍、私の礼節の無さに恥ずかしく
思うのです。

その後、平成13年4月13日に、浄土寺で33年目の御本尊十一面観世音菩薩
本開帳される事になり、早速、宗心宗匠に献茶式をお願いして献茶要項の
お手紙を差し上げました。
「檀上さん、私は随行の皆と車で参りますが、よろしいでしょうか?」
と鄭重なお言葉。
「宗匠、御身大切でございますので新幹線でお越し下さい、松井様がお迎えに
参ります」とお答え致しました。
浄土寺に到着されると正井様、村瀬様、吉村様が見守られ庫裏玄関で足袋を
履き替えられ早速本堂の御本尊にお参りされておられました。式次第をご覧になり
「檀上さん、明日は司会をされるのでしょう。献香は持参の香を手向けてよろしいですか?」
と優しいお心が伝わって参ります。
「これから長老様にご挨拶に参りましょう。」とお居間に待っておられる長老様にご案内
するとまるでご家族の様に和やかに歓談され、風清を感じました。
献茶式も床しく滞りなく終えられると「檀上さん、ご苦労様!」と優しく声をかけて
下さいました。

5月30日に、告別式が京都市の南プライトホールにおいてしめやかに営まれ、
而妙斎宗匠はじめ多くの皆様が宗匠を偲びお別れを惜しまれました。
戒名は「兼中斎緑誉秀生宗心居士」。
大切な平成の利休様とお別れしました。ご冥福をお祈り申し上げ、私は深い悲しみに
沈んでございます。(経済レポート誌・9月10日号につづく)

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宗心宗匠より拝名した軒号「半蘆軒」





posted by etchuya at 18:21| Comment(0) | 茶の湯歳時記同好会新聞